Profile



Name : Acky
Date of Birth : 7/21/1995

ボイジャー

 長い夢を見ていたような、そんな目覚めだった。よく覚えてはいないが、夢の中で僕は何かを探していたような気がする。何を探していたのだろう? 思い出せない。何か、とても大切なものだったのに。

 しばらくして、僕はカプセル型のベッドから起き上がった。まだ思うように体に力が入らない。自分の体じゃないみたいだ。頭が重い。致命的なほど複雑に絡まった思考が、頭骨に詰め込まれているような気がする。嫌な感覚だ。
「おはようございます。お久しぶりです」と滑舌の良い声が聞こえた。それが錆び付いていた耳に響いて軽くめまいがした。お久しぶりです、か。そうか、彼女にとっては久しぶりなのだ。
 声の主はこの宇宙船をコントロールしている(ついでに僕の体調も管理してくれている)優秀で忠実なコンピューターだった。船内のスピーカーから語りかけている。“彼女”と呼んだが、コンピューターなので本来は性別はない。ただ女性を思わせる声をしているのだ。
 僕はひとつ欠伸をして、「寝ている間に何かあったか?」と言った。
「特に問題はありませんでした。一度予期せぬ小惑星群と出会い、船の外部に小さな傷を負いましたが、すでに修理済みです」と声は言った。「でもその時は結構揺れたんですよ」
「気がつかなかったよ。深い眠りの中にいたからね」と僕は言って、手を開いたり閉じたりした。動くようになってきた。「問題がなかったのは何よりだけど、新しい発見もなかったみたいだね」

 僕は立ち上がり、ふらつきながら窓辺に歩いていった。椅子に腰掛けて窓の外を眺めた。
 窓の外に広がる景色はいつも変わらない。無限の奥行きの闇と無数の星たち。眺めていると酷く孤独を感じる。空気のように平然とそこにあり、喉に詰まりそうになるほどはっきりとした孤独を。そしてどれほど自分がちっぽけな生き物なのかを痛感する。この雄大な宇宙にとっては、僕なんて生きてすらいないも同然だ。ここでは空気さえも平然と存在するものではなくなってしまう。
 以前住んでいた家の窓も、いつも変わらない景色を切り取っていた。芝の庭、そこに植えられた古い木、その向こうに広がる幼い頃何度も探検した森。しかしそこには朝露があり、鳥の囀りがあり、紅葉があった。そう思うと感傷的になる。僕はずっと昔にこの景色も、家族も、思い出も、全て置いてきたんだ。
「でも旅立つ時に覚悟していただろう?」と僕は呟いた。ずいぶん独り言が増えた。だがこのあまりにも広い宇宙を独りで旅していると、独り言でも言わないと気が狂ってしまう。「あるいは、もうおかしくなっているのかもしれない……」
 声は誰にも届かない。空気のない世界では。この小さな宇宙船に染み込むように響き、宇宙の奥行きに消えていく。

 アップテンポなメロディーのアラームが船内のスピーカーから鳴り、僕ははっとした。何時間ほど窓の外を眺めていただろう? ここにいると時間の感覚が失われてしまう。いや、時間という概念がなくなる。朝になれば日が登るわけでも、時刻表通りに電車が来るわけでもないのだ。ここには数千年、数万年という単位の時間しか流れていない。数億年だろうか? いずれにしても、僕にとって実感できる時間はここには存在しない。
「アラームを止めてくれ」と言って、僕は窓から離れてキッチンに向かった。もうふらつかない。コンピューターがアラームを停止した。
 そろそろアラームの音楽を変更しないとな、と僕は思った。当たり障りのないように作られたメロディーであっても、何度も何度も繰り返し聴いているとさすがにうんざりする。
 それは食事の時刻を知らせるアラームだった。時間の感覚が喪失しているため、アラームでもないとうっかり食事さえも忘れてしまうのだ。船に設定したシステムにより、数時間ごとにアラームが鳴り、自動的にキッチンのトレイの上に食事が用意される。もちろん、これらは僕が起きている場合に限る。
 食事と言ってもいくつかのカプセルとコップ一杯の水だった。
 カプセルには必要な栄養と、空腹を緩和する薬が入っている。限られたスペースに何年分もの食料を積もうとすると、小型化する必要があるのだ。それでも限りはあるのだが、食料よりも早く僕の寿命が尽きる計算だ。
 僕はそれらを手に取り胃に流し込んだ。味覚も失われつつある。
 問題は水だ。水は小型化できない。さらに飲料以外にも、電子分解により酸素や宇宙船の燃料などにも使われている。宇宙船には水を溜める大きなタンクが積んであるが、その貯水量は僕の寿命の残量よりもはるかに少なく、どこかで調達でもしなければ真っ先に尽きてしまう。だからどこかで調達する必要がある。
 調達の方法は、水がある惑星を探して回るという場当たり的なものだった。コンピューターが水があると思われる惑星を探し、そこまで宇宙船を運んでいく。そして実際に水があれば、その惑星に降り立ちタンクに水を汲むのだ。そうやってまた次の惑星を目指す。惑星間を移動している間の僕はと言うと、食料や水、そして何より寿命を節約するためにずっと眠り続けている。コンピューターには惑星に到着する数時間前に起こすよう言ってある。給水の作業はコンピューターひとりでできるため僕が起きる必要はないのだけれど、未知の惑星に到着する瞬間をこの目で見たいのだ。本当に水が不足している場合は水が手に入るまでコンピューターは僕を起こさないが、今はまだ余裕がある。
 僕は空になったコップをトレイの上に置き、「コーヒーを頼む」と言ってコンピューターに注いでもらった。それを持ってまた窓辺に歩いていった。
「今度の星には本当に水があるのか?」と僕は言った。
「可能性はかなり高いと思います」とコンピューターが答えた。「条件はほぼ完璧です。大きさも、太陽からの距離も。もしかしたら生命体がいるかもしれません」
 僕は椅子に深く座り、ひとつ溜息を吐いて「前回のように“行ってみるともう水は宇宙に飛んでいったあとでした”じゃなければいいのだけれど」と言った。
 水がある惑星を発見するのは、想像していたよりもはるかに困難だった。訪ねる惑星の多くはただの岩の塊かガスの塊だった。たとえ水があったとしても、地中で凍っている場合がほとんど。前回訪れた惑星は重力が足りず、水を宇宙に放出してしまっていた。残されていたのは、かつて水があったことを示す川や海の痕跡だけだった。
 水がないとなると、生き物がいるはずもなかった。僕は水のある惑星を巡っていたらいつか、どこかで生き物に、さらには文明を持った知的生命に出会えるのではないかと考えていた。だが未だに出会えていない。
 一度“おしい惑星”に辿り着いたことがある。そこには水があり、空気があり、丁度いい重力も、丁度いい気温もあった。残念ながら生き物の姿はなかったのだが、大地には植物が生い茂っていた。この惑星を初めて見た時の感動は言葉では表せないものだった。たぶんそれは、僕が生まれ育った星の言葉にはない感動だった。自分の目が信じられなかった。宇宙の彼方に、こんなにも美しい星があったなんて。さらに驚くことに、この惑星では宇宙服なしでの生存が可能だった。

 宇宙船が着陸した場所は穏やかな海岸だった。僕は宇宙服なしで大地に降り立ち、この惑星の空気を大きく吸い込んだ。すると胸の奥が熱くなるのを感じた。空気に何か害のある物質が含まれていたわけではない。未知に触れた感動が胸を燃やしていたのだ。目の前には一面の海が広がっていて、太陽の光を反射して輝いていた。僕が知らない海、僕が知らない太陽。僕はそこに向かって大きな声で叫んだ。叫ばずにはいられなかった。するとなぜだか涙が零れそうになった。振り返ると見たこともない植物たちが生きる森があった。彼らは皆、太陽の光を受けようと必死に葉を広げていた。その姿は意思を持っているようだった。宇宙を流れる、どこまでも続く意思を。
 僕は旅を中断して、しばらくこの惑星に住むことにした。
 生活の場が宇宙空間から地上に変わっても、家は相変わらず宇宙船だった。食事もカプセルのままだった。食べられる植物を見つけることができなかったのだ。この惑星には何種もの植物が生息していたが、果実をつける種はひとつもなかった。生き物がいないため果実をつける必要がないのだ。葉や根も、熱を加えたり湯で煮たりするなどの調理を施してから(それともちろん安全を確認してから)口にしてみたが、とても食べられる味ではなかった。もっと研究を重ねれば美味しく食べられたのかもしれないが、宇宙船には調味料や調理器具は積まれていなかった。
 生活は宇宙空間を漂っていた頃とは違い律動的だった。毎朝日が昇ると同時に目を覚ました。その度に自分が今どこにいるのわからなくなって、しばらくして「ああ、ここは宇宙なんだ」と思い出した。「ここは宇宙の彼方の惑星なんだ。夢ではないんだ」そう思い出しても、やはりここが現実だとは信じられなかった。晴れた日は惑星を探索して回った。それは充実した時間だった。どこに行っても未知の世界が僕を待ってくれていた。対岸が見えないほどの大河、それを三次元的に裂いて作ったような壮大な滝(その光景は海にできた断層のようだった。まあ川なのだけれど)、僕の体よりも大きな葉をつけた枝を血管のように広げる樹木、……。しかしどれだけ探索に熱中していても、正午過ぎには宇宙船に戻った。この惑星の一日は僕の母星の一日と比較すると少しだけ長く、そのため正午を過ぎると気温が高くなりすぎるのだ。同じ理由で夜はとても冷える。午後(もしくは雨の日)は探索で採集した植物や石、土などの分析を行うか、コンピューターが探索に使っているドローンが撮った映像を眺めるか、昼寝をして過ごした。夜の始まりにはいつも外に出て空を眺めた。宇宙空間から見た場合と比べると劣るが、宇宙に散らばる星がよく見えた。こうやって星を見上げるようにして眺めているとノスタルジックな気分になる。ずっと昔、僕はこうやって夜空を眺めていたんだ。だけど僕の故郷とは違い、この惑星の夜空には月がなかった。ひとつも衛星を持たない、孤独な惑星だったのだ。月がいないのなら、僕がここを去ったあとは、誰がこの惑星の辿る時を覚えておくのだろう? そんなことを考えた。
 そうやって日々は静かに過ぎていった。本当にこの惑星は——宇宙空間ほどではないが——静かだった。聞こえるのは風が揺らす植物の葉の音か、海の波の音、川を流れる水の音だけだった。
 そして、僕の母星の時間で言うと約一年、この惑星の公転周期で考えると約半月が経った頃、僕はこの惑星を去ることにした。この惑星の公転軌道は大きく歪んだ楕円型で、太陽に接近し生活に適した気温となるのは、この僅かな期間だけだった。それ以外の期間は太陽から遠く離れ、長い冬に至るのだった。冬になれば植物は枯れ果て、海も大地も凍りつく。この厳しい環境こそが、この惑星に生き物がいない理由だった。
 僕は宇宙船の窓から遠ざかる孤独な惑星を眺めて、植物たちが枯れる前に地中に残した種子のことを想った。長く厳しい冬を越せば、また惑星に命が溢れるのだろう。その逞しさに胸を打たれた。いずれは——長い時間がかかるだろうが——この惑星にも生き物が誕生するかもしれない。そして計り知れない困難を乗り越え、知的生命へと進化の道を歩むかもしれない。彼らがこの孤独な惑星から旅立つ日も、いつか訪れるかもしれない。

 この孤独な惑星で過ごした日々は、まさに夢のようだった。今でも夢だったのではないかと思う。だけど目の前のテーブルの上に置かれたいくつかの丸くて硬い植物の種が、夢ではなかったことを証明している。土産ないしは記念として持ってきたんだ。僕が彼らと出会うタイミングがあとほんの少しだけ先のことだったら、僕らは友人になることができたかもしれないな。
 僕は思い出したようにコーヒーを啜った。美味しいのか、そうでないのかわからない。もう長いことコーヒー以外に味のあるものを口にしていないのだから仕方ない。味覚も鈍感になるだろう。とっくにコーヒーには飽きているけど、文句を言ってもコーヒーしかないのだ。
 コップをテーブルの上に置いて、また窓の外に目を向けた。さっきまで小さな点だった光が、ほんの少しずつ大きくなっている。
「もう少しだな」と呟くと、その声を拾ったコンピューターが「もうすぐ軌道に入ります。望遠カメラの映像をモニターに表示しますか?」と訊いてきた。気が利くのだ。そうしてくれと僕は言って、椅子を回転させてモニターの方を向いた。同時に、目的地である惑星を拡大した映像がモニターに映された。
 その瞬間、僕は目を見開き、息を呑んだ。「これは……」と思わず声が零れた。
 気の利くコンピューターがあとを引き取って言った。「私たちの惑星に、よく似ていますね」

 惑星はもう肉眼ではっきりと見える距離にあった。僕は窓に張り付くようにして眼下に広がる青い星を眺めていた。そう、海だ。生命の源である海が広がっているのだ。「本当に生き物がいるかもしれないな」そう思うと抑えられない胸の高鳴りが聞こえた。
 ゆっくりと流れる白くて薄い雲の隙間から、惑星の表面を観察することができた。多くは海が占め、そこに無骨な形の大陸が染みのようにいくつか張り付いている。確かに僕が生まれた惑星によく似ている。双子とまではいかないが、まるで兄弟のようだ。コンピューターの測定によると、惑星の大きさも、太陽の周りを公転する周期(太陽を中心とした限りなく円に近い公転軌道だった)も、自転の周期も、僕の母星に近い値だった。さらにこの惑星は、僕の故郷と同様、ひとつの衛星——月を持っていた。僕がよく知る月よりも一回りほど小さく、形もいくらか歪だが、とてもよく似ていた。
 しかしもちろん異なる点もある。いくつも。例えば、地軸の傾き。僕の母星の地軸は少し傾いていたのに対して、この惑星の地軸は軌道面に対してほぼ垂直だった。そもそも、厳密に言えば完全に同じ点なんてひとつとしてないのだ。その中でも最も明らかな、視覚的にもわかる相違点は、どこにも緑が見当たらないことだった。陸地はどこまでも淡黄か黒褐色だった。どうやら植物が生えていないらしい。あるいは、生えていたとしてもごく狭い範囲に限るようだ。このことが僕をいくらか不安にさせた。この惑星にはまだ生命がいないのか?
 すると「ちょっとこれを見てください」とコンピューターが言った。その声は——いつも冷静なコンピューターの声が——どこか興奮しているようにも聞こえた。
 僕は視線を窓からモニターに移した。そこに映し出されていたのは、惑星の地上を拡大した画像だった。どうやら砂漠のようだ。でもコンピューターが見せようとしているのは砂漠ではなく、この模様だ。平坦な砂の大地に、奇妙な模様が浮かび上がっている。円だ。何本もの輪が木の年輪のように何重にも連なって巨大な円を作っている。よく見ると大きな岩が数珠繋ぎになって輪になってことがわかる。岩と岩の間には少しずつ間隔があり、その間隔はところどころあるべき岩が抜け落ちたように大きく空いていてまちまちだが、確かに列をなしてひとつの輪になっている。外側にいくほど輪を構成している岩の数は多い。そして円の中心には他の岩よりもはるかに大きな岩がある。上空から撮った写真ではよくわからないが、中心にある岩はどうやら円錐状になっていて、それなりに高さもあるように見える。いや、これは岩ではない。これらは全て岩ではない。岩ではなく——
 これが何なのか気がついた瞬間、全身を勢いよく血が巡るような感覚が走った。
「もっと拡大してくれ」と僕は叫んだ。すぐにコンピューターが円の中心にあった“岩のようなもの”を拡大した。大きな岩に見えていたものは、小さな岩をレンガ状に積み重ねたものだった。認識が僕に行き渡るのを待ってから、コンピューターは拡大箇所を輪の方へと移した。輪を成している“岩のようなもの”も同様に石塊の集まりだった。長方形、いや、少しだけ弧を描くように歪んでいるようだ。どれも大きさ形はほとんど同じだ。「これは、まさか、街じゃないのか?」
 時に自然がどう見ても人工物にしか見えないような幾何学模様や物体を作り出すことがあるのは知っているが、これはどう見ても都市にしか見えなかった。
「その可能性があります」とコンピューターは落ち着いた声で言った。「しかし砂に埋もれていることから、もしこれが都市だったとしても、住民はいないようです。少なくとも、まだカメラでは生命体は確認できていません」
 僕は言葉を失った。都市を見つけたという興奮のあまり、住民のことなんて考えてもいなかった。それも、まさか都市に住民がいないなんて、考えてもいなかったのだ。
「他にも都市と思われる物体はいくつも、次々と発見されていますが」とコンピューターが続けた。モニターに何枚もの写真が映し出された。「どれも状況は似ていて、生命体が生活をしている様子は見られません」
 僕は写真を一通り眺めた。慌てながらも慎重に。その間にも写真が一枚追加された。全体の大きさはそれぞれで異なっていたが、どれも形状は共通していた。いくつか円状ではなく扇状のものもあったが、それは一部が砂に埋もれているだけだろう(そうと決まったわけではないけれど)。輪、あるいは弧の群れと、中心に佇む巨大な円錐。確かにこれは都市だ。だけど砂を被っている箇所が多くあり、都市と言うより遺跡に近いように見えることは否定できなかった。
 ようやく見つけた異星人の都市がゴーストタウンとは。興奮が一気に引いていくのを感じた。そして代わりに寂しさが押し寄せてきた。それは圧倒的な寂しさで、僕はもう何が寂しいのかもわからなくなっていた。ただただ寂しかった。
 でも、まだどこかに彼らは住んでいるかもしれない、と希望を捨てない僕もいた。だがそれは、諦めきれずに希望に縋り付いているだけにも見えた。惑星の周囲をぐるぐると回る衛星みたいに。

 衛星に一時的に加わった宇宙船から、地上へ探査のためにドローンが投下された。惑星に異星人がいたとすると、突然のコンタクトは異星人の文明に大きな混乱を招きかねないが、文明の活動が見られないとしてコンピューターがドローンの投下を決断した。全ての判断の最終的な決定権は僕にあるのだが、その決断に異議はなかった。むしろ僕がコンピューターに決断を促していた。
 ドローンの探査により、上空から見えていた物体が都市であることはほぼ確実になった。それと同時に、希望もほぼ完全に砕けた。都市は完全にもぬけの殻だった。
 並んでいた物体は、どれも内部が空洞になっていて、中に入るための入り口のようなものも確認できたことから、建物だと結論づけられた。ただ例外なく建物の中は土砂でいっぱいで、探査は建物の外部から観察しうる範囲に限られた。だから得られる情報も限られていた。建物の大きさから、住民の身長は僕とさほど変わらなかったのではないかと推測できたが、彼らがどのような姿をしていて、どのような文明でどのような生活を営んでいたのかは全くわからなかった。街の中央に位置する、高さが周囲の建物の何倍もある円錐形の物体も、内部に空間を有す建造物であることがわかったが、どのような目的で建てられたものなのかはわからなかった。何らかの施設と見て間違いはないだろうが、それが政治なのか、宗教なのか、はたまた全く別の意味を持つのか。僕は、街全体が日時計になっているのではないかと考えたが、これも仮説の域を出ない。
「絶滅してしまったのだろうか?」と僕は、ドローンから送られてくる映像をぼんやりと眺めながら言った。
「そうだと思われます」とコンピューターが言った。
「どうして滅んだのだろう? 酸素不足か? 植物も生えていないようだし」
「いや、そうではないと思います。惑星の空気を調べましたが、酸素の量は十分です。しかし空気中から非常に有害な物質が発見されました。この物質は大地にも海水にも浸透しています。これが異星人を絶滅に追い込んだのではないかと考えられます。植物もかつては生息していたでしょうが、この有害物質によって絶滅したものと思われます」
 僕はコンピューターが言ったこと頭の中で繰り返し、数秒間考えた。「有害物質? どこから湧いてきたんだ、それは」
「わかりません」とコンピューターが答えた。スピーディーに。
「大規模な地殻変動が起きたとか」と僕は言った。言ってみた。僕が思いつくことなどすでにコンピューターは考慮しているだろうから、言っても無駄だとはわかっているのだけれど。むしろ僕はコンピューターに説明を求めていたのだ。
「建造物の風化状況から、それは考えにくいと思われます。地震や火山活動もほとんど見られません」とコンピューターはシンプルかつ納得のいく説明をした。
「隕石が衝突したとか。その拍子に——いや、それもないか。建物が壊れる」
「はい。建造物より新しいと思われるクレーターも見当たりません」
「じゃあ、どうしてだろうな……」
 そう言ってしまうと僕は、椅子に深く座って足と腕を組み、黙ってしばらく何かを考えていた。あるいは、何も考えてはいなかったのかもしれない。モニターには、岩肌がむき出しの切り立った山や、木の枝のように分岐した川など、奇妙で、そして美しい惑星の景色が映し出されていた。僕はそれを見惚れるでもなく凝視していた。それにしても、どうしてこの奇妙な惑星の景色が美しく感じられるのだろう?
「彼らは絶滅したのではなく、その、絶滅する前に、この星を去ったんじゃないのか?」と僕は言った。不意に、思わず口にした。体勢も視線も全く変えずに。
「可能性はありますが、かなり低いと思いますよ」とコンピューターが言った。「建造物の構造から考えると、彼らが惑星間移動ができるほどの科学技術を持っていたとは思えません」
「たまたま原始的な建物だけが風化に強かっただけかもしれないじゃないか」と僕は言い返した。「もっと彼らの文明は発展していたのかもしれない。たまたま残っていないだけで」
「でも惑星の軌道上には人工衛星もありません。デブリも一切。宇宙開発が行われていたとは、やはり思えません」
「それも全部落ちてしまったんだろう。重力に引っ張られて」僕は足を組み替えた。ぎこちなく。「あるいは、飛んでいったか」
「そうかもしれませんね」とコンピューターは落ち着いた声で言った。いつもコンピューターの声は落ち着いているが、この時はさらにワンランク落ち着いた声だった。「でも、宇宙開発が行われていたのなら、彼らはまず最も近くにある星、月に行ったと思いませんか? しかし月の表面に、人工物と思われる物体は見当たりません。これも埋もれてしまっただけなのかもしれませんが——」
 モニターには月の表面を拡大した映像が表示されていた。コンピューターはいつの間にか月まで調べていたのだ。本当に仕事ができるやつだ、本当に。今も僕と会話をしながら、同時に惑星に関する様々なデータを収集し、計算しているのだろう。
「少なくとも——」とコンピューターは続けた。「今のところ、彼らが他の惑星に移住した可能性を示す痕跡は、何ひとつ見つかっていません」
 僕は黙って聞いていた。
 本当ことを言うと、僕もわかっていた。彼らは絶滅したに違いない、と。彼らはまだ、遭遇した危局と戦う、あるいは危局から逃れる術を知らなかったのだ。そう、わかっていた。だけど、ただ、寂しかったんだ。
 彼らが絶滅した時期は、それほど昔のことではなかったはずだ。確かに都市は土砂に埋もれかかってはいたが、形状が残っているということは、それほど昔のことではなかったはずだ。宇宙の時間から考えると、むしろ最近と言っていい。僕が辿り着くほんの少し前まで、つい最近まで、彼らはここで生きていたのだ。ほんの僅かな時間の隔たりで、僕らはすれ違ってしまったのだ。それが寂しかったんだ。残酷な運命に抗う術を、僕らはまだ知らなかったのだ。

 それからしばらくの間探査が続けられた。僕はただ惑星の周りを回り続けた。一度食事のアラームが鳴り、僕はうんざりして、これからはアラームではなく言葉で知らせてくれとコンピューターに頼んだ。元々アラームを設定したのは僕なのに。もちろんコンピューターはそんな愚痴は言わなかった。
 探査はほとんど何も成果をあげられなかった。有害物質の発生原因も、宇宙開発の痕跡も発見されなかった。遺跡に積もった土砂を退けることができたら、何かこの惑星の過去を知ることができたかもしれないが、残念ながら考古学用の発掘キットなどは持ち合わせていなかった。
 それに、やはり現在から過去の全ての出来事を知ることはできないのだ。あらゆるデータが得られたとしても、コンピューターがどれだけ優秀な頭脳でどれだけ分析を重ねても、現在から過去の全てを知ることはできないのだ。どんな生き物たちが住んでいたのか、彼らがどんな歴史を歩んだのか、どんなことを考えどんなことを想ったのか、そんなこの惑星の記憶は全て宇宙の奥行きに溶けていったのだ。宇宙がどこかずっと深いところに、鍵をかけて大切に仕舞っているのだ。
 ずっとそばで見ていた月は覚えているだろうか? 僕がやってきたことも、覚えていてくれるだろうか?

「地上に降りますか?」とコンピューターが訊いてきた。
「給水は?」僕は眺めていたモニターから顔を上げて言った。そこにコンピューターの顔があるわけでもないのに。
「有害物質が特殊で、船の機器では除去できないものだったので、給水は行えません」
 僕は少し考えて「そうか。じゃあ、いいよ。降りなくて」と言った。「どうせ宇宙服でないと外には出られないんだろう? 重たくて歩けない。本当は街を観光して、シャベルで建物の土砂を掻き出したいところではあるけど」
「まずシャベルがありませんね」
 僕はコンピューターのささやかな冗談に対して小さく笑みを作ってから、「じゃあ、そろそろ出発するか」と言った。
 ほんの少し間があって、「本当にいいんですか?」とコンピューターは心配したような声(少なくとも僕にはそう聞こえた)で言った。「もう、何も調べることはないんですか?」
「ああ……」僕は左手で頬杖をついた。手が届く範囲の空中をぼんやりと眺めていたが、瞳には何も映っていなかった。「もう君が十分調べただろう? 知りたいことは無数にあるけど、調べることはもうないと思う。いいよ、もう」
 また短い、しかし明らかな間があった。この僅かな空白に、宇宙の深い静寂が流れ込んできたような気がして、僕は一瞬だけ寂しさに似た恐怖を覚えた。もしくは、恐怖に似た寂しさを。
 コンピューターはゆっくり「本当に出発していいんですか?」と言った。コンピューターは気がついているのだ。本当は僕が、ここを去るのをとても名残惜しく思っていることに。「しばらく待って様子を見るという選択もできますよ? 具体的な年数はわかりませんが、しばらく待てば、惑星の有害物質が浄化されるかもしれませんし、あるいは環境に適応した生物が誕生するかもしれませんよ?」
 コンピューターが言っている“しばらく待つ”とは、惑星の軌道上に何年間か——何千年か、何万年か、もしかしたらもっとかもしれない——とどまり、変化を観察し続けるという意味だ。もちろん観察を行うのはコンピューターで、僕は眠って待つことになる。
 コンピューターが提示した案はとてもロマンチックに聞こえた。「なるほど、起きたら見違えるような惑星が待っている、というわけか」と僕は言った。そして本気でどうしようか悩んだ。生き物が芽生え、進化する過程を見たいと思ったのだ。本気で。
 映像で記録すれば起きてから早回しで変化の過程を見ることができる、とコンピューターは言った。僕は強く心を惹かれた。
「どうしよう」
 僕は真剣に悩んだ。行くべきか、行かざるべきか。相反する感情が引力と遠心力のように拮抗していた。すると、ふと気がついた。僕はどうして迷っているのだろう?
 そんなに星の変化、生き物の進化が見たいのなら、そうしたらいいじゃないか。ここで眠って待てばいいじゃないか。どうせ体感だと一晩くらいだ。あっという間だ。何を迷っているんだ? どうして僕は迷っているんだ?
「どうしよう……」僕は椅子を回転させ窓の方を向いた。窓からは、青く輝く惑星の地平線と、その向こうに広がるどこまでも暗く、どこまでも深い宇宙が見えた。瞬きをすると、目のピントがずれて、窓に映った自分と目が合った。こんな顔だったっけ? それは間違えなく僕だったが、なんだか僕に見えなかった。僕は鏡の像に向かって微笑みかけてみた。しかし彼は笑わなかった。顔の筋肉を妙な方向へ引っ張っただけだった。
「行こう」僕は自分に言い聞かせるように言った。「本当はこの星がこれからどうなるのか見てみたい。生き物が誕生する瞬間も、進化していく様子も。何が彼らを先へ先へと進めようとするのか、僕は物凄く見たい。だけど、上手く言えないけれど、なんだかそれって間違っていると思うんだ。サンプルを見るように上空から観察するということが。ここは彼らの星なんだ。彼らの世界なんだ。彼らには彼らの旅があるんだ。……そして、僕には僕の旅がある。なんだか、僕は先へ向かった方がいいような気がするんだ。何かが行けと言っているような気がするんだ。自分でもよくわからないけれど、なんとなくそんな気がするんだ。僕は行くべきだ」
 コンピューターは黙って僕の話を聞いていた。そして僕の声が宇宙船に染み込んでいくのを待ってから、「では、先へ行きましょうか」と言った。

 飛び去る前に、宇宙船は惑星の周囲を撫でるように一周だけ回った。僕は窓に張り付いて、目に焼き付けるように惑星を眺めた。コンピューターがカメラで記録しているから、目に焼き付ける必要はないのだけれど。それにしても、さっきまで散々観察していたはずなのに、やっぱり改めて別れ際に見ると、不思議と綺麗だな。
 するとふと——この惑星が僕の母星に似ていたためだろう——僕が最後に目にした故郷の景色が鮮明に蘇ってきた。僕の故郷、生まれ育った星から旅立つ時も、こうして最後に一周だけ回ったんだ。それはまさに絶景だった。雲も海も大地も都市も、何もかもが何よりも美しく見えた。僕がいた場所がこんなに美しかったなんて、と思った。次第にそれは涙で歪んで輝きに変わった。僕の瞳が今までに捉えたもの全てを混ぜたような、色とりどりの輝きだった。
 宇宙船が軌道から外れると、少しずつ惑星は小さくなっていった。僕はずっと、惑星が他の光の粒と見分けがつかなくなって、見失ってしまうまで見つめ続けた。そして窓の外は、またすっかりいつもの景色に戻った。
 思えばずいぶん遠くへ来たものだ。どれほどの距離を旅しただろう? どれほどの時間、旅しただろう? いくつもの星をフライバイし、いくつもの太陽系を通過し、いくつもの銀河を巡り、僕は何を見つけただろう? 僕は何を探しているのだろう? 旅の果てに、何が待っているのだろう?
「そもそも、何もないのかもしれない」
 なんだか、僕はずいぶん色んなことを忘れてしまったような気がする。失ってしまったような気がする。僕が捨てていったのか、それとも、僕を捨てて去っていったのか……。なんだか、失うために旅をしているみたいだ。
「どうして僕は、旅をしているのだろう?」
 思考はどこへも行けず、引力に囚われた天体のようにぐるぐると同じところを巡るばかり。ずっと、ずっと。
 僕はぼんやりと宇宙を眺めて、どうしようもないほどの寂しさを覚えた。未だに寂しさには慣れない。コーヒーと違って、寂しさには飽きというものがない。もしかしたら、寂しさは、どれもほんの少しずつ違っているのかもしれない。
 でも僕はこの景色が好きだった。なぜかはわからない。わからないけど、本能も理性も心も体も、この景色に惹かれ、ずっと深いところで震えていた。どこまでも未知が広がっているんだ。それだけが僕をここまで連れてきた。それだけで、僕はどこまでも行けるような気がした。
「そろそろ眠るよ」と僕は言って窓から離れた。
「次の目的地はまた別の太陽系になります」とコンピューターが言った。
 僕はベッドに腰掛け、ひとつ溜息を零した。「僕はどこまで行けるだろう?」そう呟いた。声は宇宙に響いて、消えた。
 その時、スピーカーから短いフレーズの電子音が鳴った。緊迫感を覚えさせる音だ。食事を知らせるアラームではない。まず食事のアラームの設定は解除するようコンピューターには言ったはずだ。僕は何か——良くも悪くもない何か——を予感し、体が強張って小さく震えた。
「謎の電波信号をキャッチしました」とコンピューターが声を張った。
「なんだと」と僕は思わず叫んだ。「どういうことだ。まさか——」
「発信源がわかりました。近くの小惑星です」
 僕は立ち上がってモニターに駆け寄った。「小惑星? 何かいるのかそこに」
「どうやら——信号を発信している機械だけが置かれているようです」
「あの星の住民じゃないのか? やっぱり生きていたんだ。彼らが機械を置いていったんだ」
「信号の形式から、これが異星人のものであることはほぼ間違いありません」とコンピューターは言った。「しかし、あの惑星の住民ではないと思います」
 僕はようやく椅子に座った。「説明してくれ」
「もし機械の持ち主が彼らだとしたら、小惑星ではなく、あの惑星に機械を残したと思いませんか? わざわざ離れた小惑星にだけ機械を残す理由がわかりません。ここに機械があるのなら、惑星にもあっていいはずです。機械はかなりの時間この小惑星上にあったと思われます。それでも未だにこうして信号を発信し続けているということは、相当な強度があるのは確かです。しかしご存知のように、あの惑星には何もありませんでした。壊れてしまったとは考えられません」とコンピューターは落ち着いて説明した。確かにそうだ。コンピューターの言う通りだ。いつも。「つまりこの機械を残したのは——」
「また別の誰か、か」と僕は言った。
「その可能性が高いと思います」
「ここに、ずっと昔に誰かがやってきて、機械を残していった……」
 僕は果てしない空白を想った。果てしない時間を埋め合わせるような深い静寂が、僕を包んだ。胸の奥が疼く。同時に、癒されていく。宇宙に消えていった時間たちが、僕を傷つけ、癒している。そこに両義性はない。痛みと癒しが表裏の関係ではなく、ひとつの感覚として胸の奥にある。
「信号が解読できました。どうやら、音声データのようです。再生します」
 そうコンピューターが言ったあと、宇宙船は奇妙な音で満たされた。今までに聞いたことがないような、不思議な音だ。うまく言葉では表現できない。今までに見たことがない色を言葉で表現できないように。この音は言葉の範囲を超えている。空気が、かつてない震え方をしている。胸の奥が、かつてない震え方をしている。
「なんだ……これは……」と僕は零した。
「言葉、でしょうか?」コンピューターもわかっていないようだ。
 僕はふと、或る考えに思い当たった。どうしてそう思ったのかはわからない。そして、間違いないと思った。
「これは、音楽だ」
 根拠はないが、僕は確信していた。ただ“わかる”のだ。これは間違いなく音楽だ。
 この音が声なのか、楽器なのか、それとも他の何かなのか、あらゆる音が重なり合ったものなのか、何も、全くわからない。
 だけど、どうしてだろう、なんだか懐かしい。